すがや、貧乏になる

突然だが、来月から収入が約半分以下になりそうだ。

菅谷26歳(大卒1年目ルーキー)は、今月まで毎月20万~24万ほどをバリバリに稼いでいたが、来月は最低の場合8万円、イケイケのときと比べると3分の1ほどになる。「お金なんて人類共通で信じているフィクションだ」と自滅的な態度を貫き、「私はカント哲学をたしなんでいたので云々」とよくわからないこと言ってあまり躊躇せずにお金を貸していたせいで、貯金もほぼゼロ。普通にありがちな貧乏に突入する。

何で僕が貧乏になるのかというと、お仕事のバランスを変えたからである。

僕はこれまで週4日は賃金労働(絶対にお金をもらえる保障のある仕事)に従事していたが、2月以降はその気になれば賃金労働の時間は週1日のみとなる。お金になるかならないかまだわからないけれど魅力的なお仕事(のようなもの)があり、悩んだ結果そちらを優先することにした。

お金がないというのは不安であったり、生活が傾いたり、あんまり良くないことが多いイメージだけれど、必ずしもそうではない。
というか、個人的にはまだ月に8万円もある!という感覚すらある。

個人史的には、これまで風呂なし生活、家なし生活をしていたこともあり、ある程度まではどこでも寝れる。ご飯だって8万円もあれば美味しいものを食べられる。世の中の人は高いお金を払えばそれに見合った満足度を得られると思っている節があり、それ自体は正しいことが多いのだろうけれど、お金をあまり払わない=満足度が低い、とは必ずしもならない。

多分、お金がないことで一番辛いのは視線だ。

かの童話の名作「星の王子様」にも「大人は数字が好きだ。(中略)数字を知っただけで、大人はその子のことをすっかり知ったつもりになる。」とあるように、お金という数字は大人の大きな評価軸として機能している。

例えば「年収300万くらいのすがや」(これでも全然多くはないが)と仲良くしてくれていた人全てが、「年収100万にも満たないすがや」と仲良くしてくれるとは限らない。僕が、足が速かろうが、面白いこと言えようが、ミュウツーを持っていようが、関係ない。大人の世界ではそれよりも「お金」が評価軸として機能していることはよくある。26歳にもなればそれくらいわかる。悲しいしつまらないけれど、世の中はそうなっている。

誰だって悪く思われるよりは、よく思われたほうがいい。でも、僕としては、せっせっせとお金を稼いで「世間から全うだと思われる」評価を得ることはしばらくはしないと思う。
理由や大人な仕事の事情もいろいろあるけれど、詰まるところ僕としてはそれはあんまり面白くないからだ。
「世間から全う」だと思われるために行動するのは結構つかれるし、退屈なことだ。出来る限り、そういうことはしたくない。

ということでしばらくは、世の中の全うな人からはあんまり良い顔で見られない生活をしようと思う(=´―`)ノ てへぺろ

菅谷圭祐 について

横浜の山の方でリサイクルショップやってます。不用品回収、ご相談ください。経営理念「遊ぶように働く。働くように遊ぶ」。畑はじめました、三十路はじまりました。連絡先 09075254766 sugayakeisuke@gmail.com
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