すがや、家出女子に会う

先日都内某駅の路上でひとり寂しくしょぼくれて「麦とホップ」を飲んでいたところ、野宿者の方に話しかけられた。

その方(仮名 緑川さん)は、最近野宿者になったばかりということだった。
緑川さんは話が上手い陽気な人で、僕は緑川さんの「学生さん?」「仕事は」「彼女いるの」「おススメのタブレットは」などの質問に答えた。

30分ほど話しをして、僕は緑川さんの人間性を信頼した。
嘘をついていないだろうし、暴力的な雰囲気も感じない、そして何よりも話をしていて面白い。この年になると世の中には結構悪い人が多いことも十分に知っているし、また僕も根は内向的な性格のため、見ず知らずの人と関係を持つことにそれなりに緊張する。
しかし、僕は一人で鬱々と「麦とホップ」を飲んでいるよりも、緑川さんと夜を過ごすという選択肢を選んだ。

僕は緑川さんと夜の街を散策し、その過程で何人か緑川さんの友人も加わり、公園で話をした。楽しい夜だった。お酒はそんなに飲んでいないし、お金もほとんどない。でもちょっとだけ非日常な人たちと、刺激的な会話。普段の生活から離れた時間を心から楽しむことができた。

 

と、ここまでの話なら路上で酒を飲んでいればときどきある。
僕が今回このことを書こうと思ったのは、この後の出来事があったからだ。

 

「あの女の子、見てみな。帰る家がないんだよ」
緑川さんが、少し離れたところにいるパンツの見えそうなピンクの短いスカートを履いた女の子を指して言った。

僕は緑川さんに、なぜそうだとわかるのかを聞いた。端的に言って、僕はそういった存在を信じることができなかった。
「自分はこの公園にずっといるし、あの女の子はよく見かける。そしていつも男性と交渉している」と緑川さんは説明し、そして「あの子の他にももう少し時間がたてばもっと増えるよ」と続けた。

全くの無知で恥ずかしいのだが、僕はこういった現状を自分の目で見たのは始めてだった。
ベトナムでゴミを拾って暮らしている子供を見たときと同じような衝撃を受けた。

僕が色々と質問をすると、緑川さんは気を使ったのかそのうちの女の子の一人を連れてきた。こういったところは、緑川さんは本当に上手い。一瞬で女性を僕たちの円の中に引き入れた。

女性(仮名 みさこさん)は26歳だと言っていた。
意外に年齢層が高いと思ったが、考えてみるとそれが本当なのかは確認しようがない(緑川さんによると年齢層は実に幅広いらしい)。
みさこさんは恐らくは正常な精神状態にはなかった。話をしていて、聞いたことと全く別の回答が返って来る、というようなことが何度もあった。

しばらく話をして、みさこさんは助けを求めるようにこちらを見た。
泊まるところ、さらには自身を売ることを望んでいるらしい。僕はみさこさんに興味があるが、しかしそれは性的な種類ではなかった。僕にも一般男性同等の性欲はあるだろうが、この場所においてそれは全く発揮されない。

僕はみさこさんに正直に話した。
「そもそも僕は今2500円しか持っていない。それでも僕は、みさこさんに出来る限り安心できる場所で寝て欲しいと思っている」

みさこさんは一定了承したみたいで、僕はみさこさんを「ネカフェかカラオケ」に連れて行くことにした。「お腹は空いているか」と聞いたところ、「少し」と彼女が応えたので僕はコンビニでおにぎりを買った。

僕はどうすればよいのか迷った。
こういうことは実は時々ある。明らかに助けが必要な人に対してどのように対応すればいいのか、どうするのがベストなのかわからない。「少なくともずっと家がない状態よりはいい」選択肢はいくつかあるが、信頼関係も築いていないのに、僕のことを信じてもらうのは難しい。さらに同性ではなく、異性だという戸惑いも対応を迷わせた。

歩きながら話をしている途中に、みさこさんは半分ほど食べたおにぎりを投げ捨てて、「やっぱり公園に戻る」と言った。僕の何かが気に障ったのだろうと思う。僕はみさこさんの提案を了承した。

公園が近づいてきたころ、みさこさんが「頭が痛い、具合が悪い」と小さな声で言った。僕は「大丈夫? ちょっと休もうか」と声をかけた。みさこさんは少しだけ笑って「もういいや」と僕に言った。

多分僕は中途半端な優しさでまた人を傷つけてしまったんだろうなと思った。何だか僕はいつもいつも同じようなことをしているような気がした。

公園に戻り、僕はみさこさんと別れた。

後日、僕は何度か同じ公園でみさこさんの姿を探したが、再会できずにいる。

——————————–
「緑川さんは、ああいう女性を買ったことはあるんですか」
僕は緑川さんに聞いた。答えは即答、「ないよ」だった。

「オレは友達として関わる。話はするし、悩みは聞くし、相談にも乗る。セックスは……、向こうがそういう関係を望んで、オレもそういう気分のときだけ」

緑川さんの話は当たり前でかつ、ラジカルなもののように思えた。

 

 

東京に来たばかりのころ、僕は夜の繁華街を歩くのが大好きだった。
この街には僕の知らないことがたくさんあるだろうと、ドキドキワクワクした。それは僕にとって目に映るもの、想像できるものが、全て未知だったからだと思う。

でも最近はそのころと同じような気持ちでは街を歩けなくなってしまった。
政治的なメッセージ、差別や偏見、もろに露になる格差…。未知だったものが少しずつではあるが、見えるようになってしまった。そして僕はそういったものとどう向き合えばいいのか、あるいはどう距離をとればいいのか、ときどき悩んでしまう。

敬愛している団塊世代の活動家の方が、「仕方ないよ、菅谷君。だって出会っちゃったんだから」と時々話してくれる。世の中には困った人・問題がたくさんあるけれど、出会っちゃった以上は関わり続けようと、彼は言う。

しかし、「一体どういう姿勢で関わればいいのか」「どの程度関わればいいのか」「そもそも関わることで自分に何ができるのか」といったことは難しい。関わるといっても、関わりの程度や自分の能力で出来る範囲がある。「関わる」ことで、自分の大事なものを損なってしまうこともあるかもしれない。「出会っちゃった以上は関わり続けよう」ということは、少なくとも僕にとっては全面肯定しつつも、結構悩みの多い態度である。

 

ということで「関わり」をどうすればいいのか、というのが最近の考え事なのです…。

菅谷圭祐 について

菅谷です、三十路です。 連絡先 09075254766 sugayakeisuke@gmail.com
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