すがや、27歳になる

ちょっと時間がたちましたが、わたくし菅谷は先日6月23日に無事に27歳を迎えることができました。

10472154_462428017235312_6942155366932503158_n
ありがとう、本当にありがとう!

 

 

せっかくのめでための話題なのに、早速暗い話を展開して心苦しいのだけど、実は27歳という歳は僕にとって大事な人物が死んだ自殺した歳である。「交通事故で死んだよー」と言われていたのに、「菅谷、実はあれはな…」とある日話され、世界が少し揺れた。

27歳の自殺、このことを僕が知ったのは数年前のことだ。

僕は割りと死ぬことについて考える方で、幼稚園に入る前くらいのころに自分が死ぬということに気づき夜中に号泣したことがある。その時は母に「ガムを飲み込まないで、ちゃんとティッシュに捨てれば長生きできる」と言われ「マジかww」と思ったのを覚えている。

10歳くらいのころからは、10日に一回くらいは寝る前に「自分はいつか死ぬんだ、絶対に死ぬんだ」と死についてものすごく意識するようになった。考えてもあまり楽しい気分にならないことを、なぜ何度も何度も再認識しているのかわからないが、とにかく僕は自分がいつか死ぬということをできるだけ心の中に置くようにしてきた。

そんな僕にとって、27歳という年齢は何となく生死を考えるときに特別に意識してしまう歳となった。
「自分は27歳を乗り越えられないのではないか」とふらっと考えたり、「自分のこれまでの人生はよくわからない苦行のようなものの全ては、27歳になるために、27歳と戦うためにあったのではないか」と、仰々しく思ったりもした。

 

そんな27歳のうちに、意識して準備したわけではないが、ちょっと大きめのことをやることになると思う。

日常生活の中で、「勝ち」「負け」が明確になることはあまりない。でも27歳のうちの大きなことは、それがはっきりとわかる紛れもない「勝負」である。もちろん表面上は非常に平和な日本での話なので、仮に負けてしまったとしても死ぬことにはならないと思うし、また僕自身も主体的に死ぬこともないと思う。

とは言っても、勝ち負けがはっきりすることは、怖いし痛いし苦しいし、他人も傷つけることになる。できる限りやりたくないし、大体の物事は波風立てずに、なぁなぁで済ませてしまいたいと思う。怖いし痛いし苦しいことを考えると憂鬱になるし、不安でいっぱいになる。

それでもこのポイントを適当になんとなくでやり過ごしたら、確実に僕の中のある部分は死んでしまうだろうと思う。そして、その死んでしまった部分が腐って全体に広がってしまうのではないかという予感もある。一応、約20年ほどの期間、10日に一回くらいの割合で死ぬことを考えるトレーニングのようなことを積んできた僕の死生観としては、そうなってしまったら生きているとは胸を張って言えなくなるかもしれない。

これからもちゃんと生きていくために、怖くて痛くて苦しくいことがあっても27歳という歳を生き抜きたいと思う。
段々と年をとり、普通とはちょっと違う生活をしているであろう僕としては、知らないところで色んなリスクが上がってきている年齢だと思うが、よい28歳、よい30歳、よい50歳、よい100歳を迎えられるように、27歳をしっかりと戦いたい。

 

何だかとても抽象的な内容となってしまったけれど、大体は今までと何も変わらないので皆様今後とも適当によろしくです(*^o^*)

菅谷圭祐 について

菅谷です、三十路です。 連絡先 09075254766 sugayakeisuke@gmail.com
カテゴリー: 生存報告 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中