またまた逮捕について

何度か記しているように、7月6日からの21日間りべるたんは逮捕・家宅捜査という非日常の緊急事態に置かれていた。

このりべるたんの逮捕はろくでなし子さんの逮捕(この辺の記事を参照のこと)とほぼ同時期だったこともあり、渋家のkt君、学森舎の☯GGG☯君、ファクトリー京都(元)の松山君、貴族のよすだすんなど、広くオルタナティブスペース業界の同業者の方々がSNSで言及してくれるなど、一時期第一級品の「ネタ」となった。

 

 

りべるたん逮捕問題がSNS上で盛り上がっていたころ、渦中のりべるたんずはというと灼熱の救援の日々を駆け抜けていて、このネタに乗っかる体力がほぼなく、言及をしたり、論争を出来ている人はほぼいない。そして、逮捕から約1ヵ月半が経った今ネット業界のネタの賞味期限の短さからか、このネタの鮮度はガクッと落ちてしまっている。僕の知る限りではこの件についてオンラインだけでなく、オフラインにおいても議論している人は、皆無に近い(最もりべるたんでは、近日に前期総会があるので、場合によってはその場でみっちり総括をすることになるが)。

つまるところ、りべるたん逮捕問題は旬をいくらか過ぎてしまった話題である。
しかし、その上で個人的にはこの問題は気になるところがある。そして、その中には重要な要素が何点かあると思っている。それは、個人的にも、あるいはもう少し大きな集団においても重要な点、認識した方がよい点があるように感じる。

そのため、あくまでも菅谷の私見として、本件について少しだけ文章として記して残しておこうと思う。

映画版ドラえもんを彷彿させる有事の際のりべるたんの団結!

映画版ドラえもんを彷彿させる有事の際のりべるたんの団結!

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  
いくつかのツイート等を見て、りべるたん逮捕における外部の意見からの要点は

1 りべるたんというスペースの逮捕の対応
2 逮捕・家宅捜査という弾圧が他のスペースでもありえるのか

という2点が大きなものとしてあるのではないかと思う。この2つのトピック内で関連する点もあるが、順にこの問題について考えていきたい。

1 りべるたんというスペースの逮捕の対応
逮捕発生以降、特にりべるたんツイッターアカウントはりべるたん内活動家層からも「若手運動業界最過激派の法政大学文化連盟ツイッターより危険だ」と言わしめるほどにゴリッと活動家臭がプンプンするものになった。
このツイッターの扱いに代表されるように、りべるたんは逮捕以降、救援活動という被逮捕者の釈放のための運動を「りべるたんとして」ゴリッと展開した。ただでさえ、「過激・危険・気持ち悪い」という3Kイメージが強いりべるたんであるが、この行動によりそのテイストはさらに強まることとなった。

このりべるたんの逮捕対応に対する批判として
1 「りべるたんとして」救援活動をしなくてよいのではないか→救援のための別組織を作って対応した方がよいのではないか
2 そもそも救援活動しなくてよいのではないか

という2点が大きくあると思う。

これについては言いたいことはわかり、例えば別のやりかたをしたり、そもそも救援をしなければ、りべるたんのイメージを別の方向にもっていくことであったり、家宅捜査を避ける可能性は十分にあったのではないかということになると思う。この点については、僕も確かにその可能性はあっただろうと予測する。

 

ただ、そういった可能性を認識した上で個人的にはそれが良いことだとは思わない。

 

逮捕された個人について、「彼の行動にも問題があったのではないか」「そもそもりべるたんという取り組みは…」と、何かしらの理由をつけて切り捨てたり、また救援自体をしないこと・ごまかすことは容易にできる。これをやるのは救援をすることの100億倍くらい簡単だし、危険のないことだと思う。

ただそれをした場合、内部に異質性が発生し、行動や人格等の諸々を含めた異質性の排除につながる可能性が高い。そして、その暴力性が極めて高い異質性を誰が規定しているかというと、大体の場合は強い力を持ったものである。要は私たち自身が異質性を作ったり、規定したりすることは多くはなく(ないとは言わない)、強い権力を持ったものの方がそれを行いやすい。そして思想や行動が、外部からの非常に暴力的で恣意的な力によって都合のいいように制限されることになる。

釈放確定時のほとばしる団結!

釈放確定時のほとばしる団結!

 

今回で言えばりべるたんとは別組織をつくって救援をした場合、被逮捕者あるいは救援組織自体に異質性が発生するという自体が考えられる。仮にそれで弾圧を避けられる可能性が上がったとしても、その後に残るのは行動や思想に制限を持つ今までとは違うりべるたんになるのではないかと思う。そしていずれは、人を、異質性を、外部からの暴力的な規定により簡単に切り捨てる構造が生まれ、組織は腐る。全然オルタナティブではなくなるし、面白くもなく、刺激もなく、誰かに許可された思想や行動だけが残る。救援活動をしないという選択肢においては、それはさらに悪質なものとなる。

そのため大変だし、苦労が多いかもしれないけれど、みんなで、全体で一人の仲間のための救援を展開すべきだし、そういった関係性の構築のための努力を怠ってはいけないと思う。もちろんみんながみんな警察署前に行って抗議をしたり、ビラを配ったりまでの行動を求めるのは酷だし、行動における差はあってしかるべきだと僕は思う。ただ全体で、りべるたんとして、救援をするんだということ、異質性を外的な力によって生まない、切り捨てないという意識の共有は非常に重要なのではないかと考える。

もちろん外部への打ち出し方や、運営方法など反省すべき点は多々あることは深く認識している。
しかし、その上で弾圧の状況等によって対応やできること範囲等はその都度変わるだろうが、増井救援部長を先頭にした救援方針には間違いがなく、むしろこれ以外の選択肢はないと個人的には思う。

(長くなったので一端ここでやめます。「2 逮捕・家宅捜査という弾圧が他のスペースでもありえるのか」については後日書きますm(_ _)m)

菅谷圭祐 について

菅谷です、三十路です。 連絡先 09075254766 sugayakeisuke@gmail.com
カテゴリー: 考え事 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中