またまたまた! 逮捕について

もうすぐ逮捕から2ヶ月のときが経とうとしていますが、僕はねちっこい人間なので、最後までやります笑。前回の続きです。

 

2 逮捕・家宅捜査という弾圧が他のスペースでもありえるのか

早速結論から言うと、他のスペースがりべるたんのような状況に陥る可能性は、限りなく低いのではないかと思う。

僕はこれまで個人的に、全国のオルタナティブスペースを少なくとも10個以上はお邪魔させて頂いたことがあるが、他と比較した時にりべるたんのエキセントリックさは、良くも悪くも際立っている。りべるたんは今後も逮捕・家宅捜査がある可能性が極めて高く、他のスペースはその可能性が極めて低いため、今後もしばらくの間は、りべるたんは危なくて過激で恐ろしいシェアスペースという地位に君臨し続ける可能性が非常に高い。

 

ただこれ自体は個人的にはちょっと寂しいことではある。

 

ここで余談を挟むが、今回の救援中にこんなことがあった。
僕には救援直前までの間にちょっと「イイカンジ」になっている女子がいた。以下は、逮捕以降のその女子との会話である。

————————————

~逮捕直後のころ~
菅谷「ごめん、ちょっと今日会えなくなったー」
女子「なんで? どうしたの??」
菅谷「いやぁー、後輩が逮捕されちゃってさー」
女子「…………」
菅谷「…………」
女子「逮捕ってなに?」
菅谷「いや、あの、学生運動があって、それでカウンターをして……、でも、要は、わかりやすく言うと、権力の弾圧が…」
女子「……そっか」
菅谷「…………」
女子「…………」
菅谷「ごめんよー、また今度遊ぼう」
女子「はい」

~家宅捜査のころ~
菅谷「ごめん、また会えないかも」
女子「今度はどうしたの」
菅谷「いや、あの…」
女子「どうしたの?」
菅谷「ガサがあってさ」
女子「………」
菅谷「………」
女子「ガサってなに??」
菅谷「いやね、警察が家に、家宅捜査がきてね」
女子「………、そうなんだ」
菅谷「う、うん」
女子「………」
菅谷「………」
女子「………」
菅谷「でもね、けんりょ…」
女子「いいよ、気にしないで」
菅谷「………」
女子「………」
菅谷「………」
女子「………」
菅谷「また今度あそぼう」
女子「はい」

————————————

と、以降しばらくして僕の能力不足なのか、あるいは弾圧の影響なのか、女子とは疎遠になってしまった。

菅谷、実はこの影でプチ失恋

菅谷、実はこの影でプチ失恋

 

この例で僕が言いたいことは、権力によって地上にまかれた愛の種が一つ踏み潰されてしまった(かもしれない)という私事の重大な事項。
そして、逮捕・家宅捜査といった弾圧の日常との乖離である。

この例を挟むまでもなく、弾圧というのは多くの人の日常にはない。大体の人にとって弾圧は、想定になく、また当然避けるべき事項である。

でも、シェアスペースの中の、ことオルタナティブスペースとしての志向の強い場所が「自分の場所は逮捕や弾圧は”ありえない”・”あるべきではない”」と捉えているとすれば、寂しさがある。もちろん逮捕や弾圧はないに越したことはないけれど、新たな生活や新たな文化や新たな生活を本当に目指すのだとしたら、想定に入れておく、他のスペースの逮捕や弾圧を切り離さずに考える必要性は少しはあるのではないかと思う。

 

この点については、界隈一のオルタナティブマン松山孝法君のつぶやきが、言いたいことをほぼ網羅してくれている。

これは本当に何かしらの形で発言しなければならない。個人的に、コミュニティ的にもりべるたんと親和性があるからそう思うだけなのかもしれない。けど、そういった危機感がもしこの事象で抱かないなら本当に馬鹿げているし、そんなレベルの想いならばとっととそんな場所や運動は壊れて行けば良い。

そういう体制からの恫喝、脅迫で政治思想を持っている人はなるべく来ないでみたいな場所が仮に増えたらロクでもないし、まあそういう自称「オルタナティヴ」や「フリー」「コミュニティ」みたいなのはその欺瞞性の化けの皮が剥がれてリトマス紙として使えるのは良いけど、消耗はするだろうしな。

 

「みんなで住んでお金をあまり使わないようにする」とか「家に帰ったときに誰かいると寂しくなくていい」ということを第一義に置いたスペースならば、特に何も問題にすることはないと思う。ただ、少なからずそれ以上の意味であったり、志向性を持つならば、実際の弾圧の可能性は低くでも、無関係ではないし、自スペースで同じようなことが起こらないとは言い切れない。運動業界的な言葉を少し用いると、「りべるたん弾圧と全オルタナティブスペース運営とは一体の問題だ」みたいな感じになるのではないかと思う。

でも、ずっとこういうことを書いていると空に向かって延々とパンチしているような虚しさも少なからずある。
多くの人にとっては、疎遠になった女子と同様に、弾圧や大きな力による個人の人生や集団の破壊は、現実に想像できない遠い世界の話であることが容易に想像できる。多分、大体の人は松山君の言っている感覚を共有することはできないのではないかと思う。また、共有する必要もないと考える人もいると思う。

その上で、りべるたんに意義を見出すとしたら、もしくはそういった点にもあるのかもしれない。

この社会には、巨大な力も持った権力があるし、時と場合によっては、それはかなり暴力的に力を発動させることが可能であり、それは意外に身近なところ、もしくは自己にも及ぶ可能性が全くのゼロではないこと、あるいは地続きであること。こういったことを何度も何度も同時代に同種の問題意識を持つ一定の規模の集団の中にポンと投げ込み続けることができる。このことがどの程度の意味を持つかはわからないけれど、多分無意味ではないと思う。

「イイカンジ」女子には残念ながら届けることは出来なかったが、時には届くこともある。

 

以上2回にも渡って、逮捕というヘビーな内容について書いてしまったけれど、そのくらいには今回の弾圧に対する周囲の反応には、気になるところがあった。
今後もりべるたん周辺は弾圧されまくり情勢、他のスペースは弾圧されない情勢が続くことが予想されるけれど、自分の立っている場所で出来ることを可能な限り全力で続けていこうと思う。

(次は、リア充っぽい生存報告を書けるように頑張ります(><))

菅谷圭祐 について

横浜の山の方でリサイクルショップやってます。不用品回収、ご相談ください。経営理念「遊ぶように働く。働くように遊ぶ」。畑はじめました、三十路はじまりました。連絡先 09075254766 sugayakeisuke@gmail.com
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