残り一ヶ月とすがやと荻窪

先日、無賃金ワーカーホリックのすがやにぽっかりと空き時間が出来て、荻窪に行ってきた。

大学2年生まで過ごした懐かしの荻窪

大学2年生まで過ごした懐かしの荻窪

 

荻窪は僕が東京に上京してきてはじめて住んだ街だ。
2007年、僕はこの街から東京での生活をスタートさせた。荻窪駅から徒歩15分ほどと駅から離れているくせに、家賃が安くもなく部屋の環境も良くないという、地方から出てきた学生がよく借りる典型のような部屋から東京での生活が始まった。

時折、僕はこの荻窪という街に戻ってきたくなる。

小さいころゲームっ子だった僕は、物語が進むに連れて時々序盤の町に戻って意味もなく町人に話を聞いたり、外を歩いてモンスターを倒してみて強くなったことを確認したりという、物語上においては意味のない行動をすることが好きだった。僕にとって荻窪をふらふらすることは、その感覚に近いのかもしれない。

ただ荻窪を歩いていて、そのような物語が先に進んだだとか、強くなったというような感覚を抱くことはない。
むしろ、どちらかというと、僕が思い出すのは今までに失ってしまったかもしれない様々なものだ。

 

東京に出てきた19歳のとき、僕はこの東京という地に知り合いはほとんどいなかったし、まして友達と呼べる人はほぼゼロに近かった。それから僕は、多くの人と知り合い、友人にもたくさん恵まれた。

しかし、その知り合いや友人のそれなりの割合の人たちを僕は失ってしまったのだと思う。

僕は、東京に来て主体的に、あるいは義務感からこれまでにいくつか闘いと呼べるものを経験してきた。

最初の闘いは、大学2年生のときにサークル本部が大学(当時はまだそれは「当局」と呼ばれていた)の一方的な決定でつぶされる、という出来事に対してだったと思う。これは、当局のあまりにも横暴な決定に批判の声が多くの学生から続出していた。

声は続出していたものの、だからといって「サークル本部を残そう」という声は強くなかった。「当局は酷いけれど、仕方がないよね」という雰囲気が蔓延していた。僕は先輩たちの、この雰囲気、おかしいけれど仕方がないという雰囲気が不思議で仕方がなかった。なぜ、黙って従うのだろうと思った。

これについて、僕は、僕たちは「やっぱり大学の決定はおかしいですよ、サークル本部を残しましょう」と主張した。主張してしまった。僕はこの自分の意見を言うということをあまり重く考えていなかったのだが、大変な問題になってしまった。

この主張をした翌日、大学5年生の先輩に「何を考えているんだ」と血相を変えて怒鳴りつけられた。また、それまでは僕を名前で呼んでいたサークルの先輩が苗字で呼ぶようになった。そして、大学の職員に構内にいるところをビデオカメラで撮影されるようになった。

当時(今でも恐らくそうなのだけど)、母校 法政大学は異常なキャンパス状態にあった。そのため、僕は特に深く考えずに「サークル本部を残そう」と言ったばっかりに、想定を超えた事態に突入してしまった。当時、僕はまだ若かったのでこのような生活の変化に嘔吐するようになってしまった。

このときに僕は、闘いは苦しくて、きつくて、ときには孤独になるものなのだと学んだ。
そして、なぜ先輩たちが黙って従っていたのかも何となくわかった。

 

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しかし、それ以降も僕は、何度か、というか何度も闘うことになった。

最近の鬼気迫る僕。

最近の鬼気迫る僕。

 

理由は単純で、僕には「おかしいけれど仕方がない、黙っていよう」という態度を完全に受け入れる事はできなかったのだと思う。黙っていた方が楽、何もしない方が安全、そういう態度を貫徹できる人間になれなかった。

闘った結果として、僕はこれまでに確実にいろんなものを失った。
それまであった人間関係、人生におけるいくつかの選択肢、幸福な時間、いくつかのものを失った。それに何か行動を起こそうとすると、それまでは仲間だと思っていた人の中でも仲たがいをしたり、あるいは関係性が悪い方向に変わることもある。何も行動しなければ維持できたはずのものを、僕は失ったり、あるいは悪い方向に進めてしまうということもあったと思う。

僕は割と鈍感な方なので、普段はあまりそういったことは考えない。しかし、荻窪を歩いていると、そういった失ったものを思い出してしまう。

 

そして、僕は今、また困難で混み入った闘いの中に入っている。
そのせいでこれまでにいくつかのものを明確に失ったし、これからも何かしらを失うかもしれない。

それでも、僕は、こと自分の気持ちだけを見れば、今非常に幸せだ。
むしろ今が人生で最も幸せだといってもいいのかもしれない。ときにそういった幸福な感情が心の中から湧き出てくる。

数は決して多くないけれど、一緒に闘ってくれる同志がいる、僕がどんな状況にいようと支えてくれる友人がいる。そして一ヵ月後には、切るか切られるか、これまでで最もわかりやすい形で「勝ち負け」がはっきり出る闘いが待っている。そして、それに向けて全力でぶつかることができる。

こんなに幸せで恵まれた状態は他にはないとさえ思う。

戦況や周辺の分析についてはもちろん様々ある。
でも、こと僕個人に関しては、この残り一ヶ月ほどという幸せな時間を慈しみながら毎日を過ごしたいと思う。もしかしたら人生において最も幸せかもしれない残り1ヶ月の日々を冷静に丁寧に正確に全力で生き抜きたい。

菅谷圭祐 について

菅谷です、三十路です。 連絡先 09075254766 sugayakeisuke@gmail.com
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