これからを生き抜くシェア論考①~すがやがシェアに至るまで~

そもそもこの文章を何のために書くのか

 
2015年4月、僕は豊島区議会議員選挙に立候補させて頂きました。

その際の僕の主な肩書きは、ヘルパー(障がい者介助)・シェアハウス運営の二つだったのですが、この二つは両方ともわからない人にはなかなか理解されにくいものでした。

個人的には、これからを生き抜く上で、また社会の必要性からも、仕事としてのヘルパー、住まいとしてシェアハウスは、共に非常に重要になってくると考えています。

しかし、特に「シェア」というものは社会の中でまだ人口に膾炙しているとは言えないようです。

老若男女それぞれで、頭の中にイメージするものが違う、もしくはイメージを抱くにまでも至っていないと思う事が少なからずありました。

そこで、ここでは強引に四捨五入すれば「シェア」歴10年のわたくし菅谷が思う、シェアについて、良いところ・悪いところ、また現状で感じている課題等について何回かにわけて出来るだけ丁寧に記して行きたいと思います。

 

①すがやがシェアに至るまで

2010年~2012年春まで住んでいた風呂なし物件。当時はまだスマホという便利なものがなく、たくさん探してやっとやっと写真が見つかりました。

2010年~2012年春まで住んでいた風呂なし物件。当時はまだスマホという便利なものがなく、たくさん探してやっと写真が見つかりました。


 
私はりべるたんという恐らくは日本で一番奇怪でへんてこなシェアハウス・シェアスペースを立ち上げ、しばらく代表のようなものを務めさせて頂いていました。

 
なぜ、りべるたんを始めたのか、ということを時々聞かれるのですが、その度に「自分の家がたまり場になってしまって疲れたから」という説明をします。
 

学生時代、僕は学生運動を嗜んでおり、友情と裏切り、覚悟と挫折、高揚と消沈、恋と失恋が絶妙に混合された学生生活を送っていました(詳しくはこの辺りとかこの辺りをご覧ください)。

その学生生活の途中から、僕が当時暮らしていた高田馬場の風呂なし6畳一間がたまり場として使われ始めました。端的に言って学生運動をする・したい、あるいはそういうコミュニティが好きという人の大半は変人です。
もはやそこは僕の家ではなくなり、バイトを終えて帰ったら、宴会をしている・知らない人が寝ている・横断幕を部屋中に広げて作っている等々のことがありました。

 

僕は家に人がいる状態を基本的には大歓迎なのですが、当時まだ若かったこともあり「さすがにこの状態はやばい……。変人ライフから卒業したい!」と考えました。
その結果、僕は物件を解約して家なし生活を始めました。たまり場を物理的に抹消しました。

晴れて僕は流浪の民となったのですが、そこから数ヶ月後輩が学生運動で逮捕されたりなど紆余曲折がありました。
その結果、「やはりたまり場はあった方がよいだろう」という結論に達し、大学同期の増井君と当時一緒に活動していた早稲田の学生の計3名が主体となり、後にりべるたんと命名されるスペースを発足しました。

 

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青春時代の暗さを暗喩しているかのような当時の廊下

青春時代の暗さを暗喩しているかのような当時の廊下

 

上記のような説明を、僕がりべるたんというプロジェクトを始めるにあたる前史として説明に使います。
しかし、個人的には別の視点も動機のひとつとしてあったように思います。

 
当時(というか今も)、僕は「家」と呼ばれるものに対して、相当懐疑的です。
 

特に東京都内においては、決して広くないスペースに一人で住みます。
その狭い空間のほぼ全ての部屋に洗濯機があって、浴室があって、冷蔵庫がある。例えばマンションなんかでは半径500メートルほどの間に、ほぼ同じ設備を兼ね揃えた空間が幾つにも密集している状態です。

なんだか、おかしい気がします。

一般的な生活において、洗濯機や浴室なんて一日のうちに使う時間の方が短いです。
「ちょっとお借りできませんか、一緒に使うようにしませんか」と言っても、本来はあんまり困ることはないようなものです。むしろ、そうすることで人間関係も広がり、人生も豊かにもなる可能性もあります。

しかし、洗濯機・浴室・冷蔵庫・あるいはルーターやらベッドやらテレビやら現在「家」と呼ばれるものに必要とされるものの多くは一人ひとつ所有するということが常識のようになっており、大体の人が自分の部屋のみで生活を完結させています。
そしてそのような生活を維持するために、収入の3分の1以上が家賃や光熱費で消えていくということがざらにあります。

 

こういった状態を凄くもったいないと思ってしまいます。
現代社会に巣食う病理の一端を担っているような気もします。

 

現在、大多数の人が住居を探そうとするときに頭の中に浮かぶであろういくつかの条件があります。そして、それらがないと、それらが揃っていないと「生活できないように思わされて」います。しかし、僕はこの点を「何かおかしいな」と感じ続けてきました。

どこかで何かによって作られた、住居の常識、これは打破できます。結構簡単に、打破できます。

そしてシェアの領域を広げていった方が、経済面においても、人間関係においても、ひいては人生がより素晴らしいものになるかもしれません。それまでは何とも思わなかった場所が、空間が、「現在自分の暮らしている場所は世界で一番面白い場所だ!」と思えるようになるかもしれません。

僕は、このように考えています。

 

シェアは素晴らしい
シェアについて、一緒にできることから始めましょうというお誘いを、シェアの良い面・悪い面・そして僕の考える現状の課題までを今後何回かで展開していきます。

菅谷圭祐 について

菅谷です、三十路です。 連絡先 09075254766 sugayakeisuke@gmail.com
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