24歳の居場所と30歳までの労働と生産

もう一ヶ月と少し前のことになるけれど、共同運営実験スペースりべるたんが3周年を迎えた。

豊島区は東池袋で育つ野生のトマト。土があれば農作物は育つ。

豊島区は東池袋で育つ野生のトマト。土があれば農作物は育つ。

 

りべるたんは僕たちが学生時代に創設したシェアハウス・シェアスペースだ。
大学に「自治がない」「交流がない」「自由がない」などの学生時代に抱いた大学内のまた社会の中での問題意識を元に創設した(詳しくはこちらを)。

少し思い返してみると、「りべるたんを創設しよう!」と躍起になっていたころ、僕は法政大学6年生24歳で学生として円熟期(?)に入って油が乗っていた時期だった。大学は、社会は、こんなものではない! 小さなものでも自分たちで別の世界を創造しようとメラメラと燃えていた。

恐らく24歳のころの僕に「3年後りべるたんはこんな感じになってるよ」と話すことができたら、概ね好意的に捉えることができると思う。

 

ただ、28歳のアラサーになった現在、今の年齢から何かを作るとしたら、多分僕にはもうりべるたんは作れないと思う。仮に作ったとしても多分上手く行かないと思う。

 

24歳から28歳になり、僕の生活は学生時代からそれなりに離れた場所に来た。学生が終わると次は何になるかと言うと、一般的には労働者になる。他の人が僕のことをどのように見るかわからないけれど、僕は僕自身のことを労働者だと認識している。そのためか、居場所運動全般の興味関心が労働による視点に移ってきている。

結論を先に言うと、労働(生産)の共同体を作れるのだろうか、あるいは作れないのだろうか、というのが強い関心ごとになっていて、節目の30歳が一つのその目安かなと思っている。

 

雨宮処凛さんの時代を表す一冊。

雨宮処凛さんの時代を表す一冊。

 

2015年現在、多くの労働者は生活の場所の外部に働きに出て、そこで日本円を報酬として得ることで生活している。労働で得たお金で、家賃を外部に払い、食料を外部から得ることで腹を満たし、生活に必要な家財家具を外部から揃え、残った幾ばくかを余暇にあてる。

日本の特に都市圏でごくごく一般的に営なわれている生活においては、生活のほぼ全てがお金を媒介する。そのため、お金によってしか生活の成立も維持もできないものとなっているし、上手く行っていた時代が長かったため、あたかもそれが永遠に続くもののように多くの人が思っている。

バブル崩壊、非正規雇用増加以降のトレンドのひとつである「生きさせろ」思想は、資本・権力が新たに設けた非正規雇用といった階層でも、このお金によってしか成立しない生活を「成立させろ」そして「生きさせろ」という視点が一つの大きなものなのではないかと思う。

しかし、個人的には資本・権力の要請による非正規という階層で、「生きさせろ」要望を実現するのは困難なように感じる(もちろんそういった試み自体を否定したいわけではない)。また、もう一つのトレンドである「働かないで生きる」系の潮流の一つである楽して生きる、ダラダラ生きるというのは、性に合わないようで、クタクタになるまで働きたい笑(これもまた、もちろんそういった試み自体を否定したいわけではない)。

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それぞれ上から神長 恒一さんペペ長谷川さん・松本哉さんの著書。余談として、この分野のカリスマの方々は本のタイトルに反して相当に勤勉なのではと思う。

それぞれ上から神長 恒一さんペペ長谷川さん・松本哉さんの著書。余談として、この分野のカリスマの方々は本のタイトルに反して相当に勤勉なのではと思う。

 

石の上にも3年と言うが、3年間シェアハウス運営業をやってきた身として興味があるのが、この生存における労働と金銭のバランスを共同体内の労働(生産)によって変える事はできないだろうかということだ。それを都市で達成できないだろうか、そして、その方が楽しいのではないかということだ。

例えば、共同体内で食料を生産することで共同体内における外部からお金を使って腹を満たすということは減らせるのではないだろうか、余剰を販売して金銭を得ることができるのではないだろうか。

あるいは、共同体内で家電家具をストックすることで共同体内における家電家具の外部からの購入を減らせるのではないだろうか、余剰を販売して金銭を得ることができるのではないだろうか。

もしくは、ご近所の身体の不自由な方の生活を手助けすることで、生活全般のインフラを共有して、共に生きていけないだろうか。

こういった共同体内で労働(生産)を作ることができないだろうかと言うことを延々と考えている。考えているというか、最近僕は炎の60時間労働に勤しんでおり、これはもちろん選挙落選の借金返済のためということもあるが、「共同体内で労働(生産)」ということを達成できるかの身体的訓練・身体的実験のためでもある。

 

りべるたんという場所は、上記に書いた外部への支払いという面において、家賃を共同によって相当程度で軽減することができる場所だ。ただ、労働(生産)があるかというと現状そうではないと思う。個人的には今後りべるたんでできればいいなと思うけれど、身体的訓練を得た上で、この点についてはまだどうすればいいのか回答が出せない。

回答が出せない理由の大きなものとして労働(生産)の閉鎖性がある。
りべるたんを始めとしたフリースペースは基本的に誰がいてもいい場所として規定されている。しかし労働(生産)の場合が誰がいてもいいわけではない。時間などの約束を守る、目的達成のために動く、ときには不条理に思える負荷にも逃げずに耐えるといった最低限のハードルが多くの場合はある。

これらはフリースペースとは非常に相性が悪い。現在、シェアハウス・シェアスペースは大流行していて、社会の中で上手く立ち回れない若者に居場所と承認を与えるのに一役買っている。

しかし、20代・30代・40代と変化していく生活や身体や要望にシェアハウスが答えられるのかというと、僕はかなり懐疑的だ。一時期、他のシェアハウスの代表格の方に会うたびに、この懐疑の疑問を投げかけていた時期があったが、多くの方はシェアハウスは人生における通過点と捉えているようだった。労働(生産)をシェアハウスという共同体で試みる可能性は低いようであった。

繰り返しになるが、非正規雇用の増大により昔のように、個々人の生存やら承認やら幸せやらをほぼ過不足なく満たしてくれる仕事は激減している。
そのためシェアハウスが少し年齢のレンジの広くなった学生寮のようなもの、モラトリアムの延長としてしか存在しないのであれば、それは現在の社会におけるその場しのぎまでにしかならない。あるいはいずれは、偽りの承認と表面的な交流が延々と繰り返される場所になってしまう(余談になるけれど、だからこそ芸術を「生産」している渋家は僕はすごいと思う)。

恐らくりべるたん創設に躍起になっている24歳の僕にこういった問題意識を話しても、理解してもらえない。これは僕にとっては28歳の興味関心であり考え事であり悩み事になる。

30歳になるころには概ね好意的に捉えることが出来るようなものを作りだせればいいなと思う。

菅谷圭祐 について

横浜の山の方でリサイクルショップやってます。不用品回収、ご相談ください。経営理念「遊ぶように働く。働くように遊ぶ」。畑はじめました、三十路はじまりました。連絡先 09075254766 sugayakeisuke@gmail.com
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