2015年総括1 総論としての自殺と自由の検討

2015年、僕は27歳から28歳になった。
27歳から28歳になるまでの期間というのは僕にとって自分が死ぬことについて、これまでの全生涯において最も具体的に、より現実的に、検討する時期だった。

年末、躍動する菅谷さん。

年末、躍動する菅谷さん28歳と6ヶ月。

  

27歳は、僕がこの世に生を受けるに当たって恐らくは重要であろう人が自殺した歳であるらしい。そのことを知ったのが24歳で、その時から僕は27歳での自殺について考えを巡らすことになった。その歳に、自ら命を断つことに何かしらの重要な意味があるのではないか、その先も生きていくよりもその方が良いのではないか、27歳の自殺に込めたと思われる積極的な意味を見出すように努めた。

考える時間は、歳を重ねるごとに増えていき、2015年4月末、豊島区議会議員選挙に落選したあたりから、それは僕にとって最も優先度の高い検討事項になった。そこから28歳までの約2ヶ月間、ご飯を食べていても、仕事をしていても、もしくは別の何かを考えている最中でも、頭のなかには常にそれがあった。

しかし、僕は28歳になってしまった。

自殺を放棄したとか、生きることを選択したというボジティブな理由ではなく、時間に押し出されるように28歳を迎えてしまったという方が感覚的には近い。2015年6月23日火曜日、27歳までと変わらず僕は介助の仕事へと向かった。そして28歳という年齢も、これまでの他の年齢と同じように少しずつ僕の中に染みこんでいくことになった。

現在、自殺は僕の中では自分が取れうる行動の一つという場所に落ち着いている。ご飯を食べる、仕事をする、あるいは選挙に出るために借金をする、網走まで旅に出るなど、こういったものと同じく自分が取ることのできる行動の一つ。僕の中において、自殺は24歳から27歳までとは明らかに違う場所に収まった。

僕は2015年の半分を27歳として、残りの半分を「新しい」28歳として過ごした。そして、そこにはいくつかの総括がある。

  
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  

28歳、僕はいくつかの、恐らくは根底においては全てつながっているであろう問題について、総括し、方針を立て、行動をしなければならないと思うようになった。具体的には、選挙で敗北したこと、3年間続けたりべるたんが行き詰まっていて今後それはさらに加速するように(僕には)見えること、種々の人間関係により僕の人格に欠落が発見されたこと、こういったことの根底で共通しているものを見つけ出し、総括する作業を始めた。それをしなければならないのだと強い思いを抱いた。

僕は生物としては自殺はしなかったものの、これまでの自分をある部分において殺す作業を積極的に進めることとなった。その作業は時に僕を奈落の底まで絶望させ、時に銀河の果てに届くほど高揚させるものとなっている。

総括の過程で、僕が殺しにかかるまでもなく既に僕の中からは失われてしまっているものも発見した。例えばそれは、僕にとってはささやかながらとても大切に思っているものだったりもした。
それは僕が今までの僕として生きてきたことで失われてしまったのか、あるいは別の理由で失われたのかはわからない。日常の中に当たり前にあると思っていたものをどこかで失ってしまっていた。そして、ささやかな大切なものの空白を埋められないままに、総括を進めていくこととなった。

空白は次から次へと発見された。それでも、総括を進めなければならないと思った。それなくして、僕は僕自身としては生きていけない。
このように28歳は、こうまでして生きていかなければならないのかという絶望と、こうやってでも生きていくんだという高揚が交互に訪れる、そんな歳になっている。

  
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  

28歳を半分終えた2015年末、現段階における総括の総論としてひとつのわかりやすい説明がある。

仮に今僕が死んだとする。
「ええ、菅谷さん死んだんですか。葬式はするんですか、僕行きますよ」、多分こんな話がいくつかの場所で展開される。恐らく多くの人は僕が死んだということにその瞬間は驚き、儀式的な美しさを伴った形で消費してくれる、それはとても素敵な余暇の充実の一つとなる。しかし、僕が死んだことに対する消費行動をある程度終えたあと、例えば死後3年たったあとに花を添えてくれるのは恐らくは家族しかいない。

これは一つの例であって、別に花を添えてほしいとか、添えるべきだという話をしたいのではない。また僕自身としては花を添えられようが、添えられなかろうがそんなことはどうだっていい。ここで言いたいのは、死んだ後に自分の全てがどこに収まるのか考えるのは一つの尺度として有効なのではないかということである。僕の死は、僕の全存在と行為全ては、関係性は、運動は、ほぼ全てが消費社会の中に、少しだけが血縁に収斂される。結局のところ、消費社会の継続を支えるちっぽけな一部と血縁にしか収まらないのである。

一時が万事なのだが、例えば先の選挙に置き換えるとこのような見方ができる。
「菅谷さん、応援してますよ」と友人が、あるいは同志が言う。しかし、これはあくまで言葉でしかない。選挙に勝つ人間、勝つ組織の応援では、金を出す、選挙区に住む、あるいは投票権のある人間に対してポスティング、電話がけ等で投票へ働きかける、こういったことが行われている。そこでは実際の何かしらの力が応援と呼ばれる。

人や団体により応援を支える思想は異なるのだろう。しかし、その思想には僕や僕達よりも確かな力がある。どのような人や団体であっても、それは僕達よりも遥かに強固な意志を持って遂行されている。そして、一時が万事でこれまでの菅谷という自己を延長した先には同様の困難が待ち受けている。

※ 大事なことなので断りを入れると、選挙の例において全ての人が上記のような態度であったわけではない。僕は選挙で実際の力を貸してくれた多くの人に深く感謝しているここでの話は、僕の中に選挙で負けるべくして負ける思想があったという総括になる。

  
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  

今、あるいはこれまで、僕が、僕達が信じてきた思想とは何なのだろうか。
僕たちは、多かれ少なかれ、好き勝手自由に生きる、ダメでも働かないで自由に生きる、こういった思想の延長線上に身を置いて生きてきたのではないかと思う。この自由に、世の中を変える熱量が含有され、革命後の世界があるのではないかと考えてきた。自由を熱狂的に支持してきた。

しかし、現在僕にはこの思想の先に見えるのは革命後の世界ではなく、沢山の、非常に多くの屍である。革命後の世界に到達できるのは、この思想を正しく読み取る、一定の能力を持つという条件を満たす個人のみであるが、大抵の個人はこの条件を満たせない。そのため大勢は支配的な思想に回収される。一部の者がメディアや何かを媒介にして見せてくれる革命後の世界を遠くから見てあたかも自分もその一部になったかのように、自由を高らかに掲げて「余暇の充実」を一生懸命に行う。日常は早く過ぎ去るのを待つだけの時間となる。苦しくて辛くて孤独で、誰も花を添えてくれない個人の自由を、個人の日常をばらばらに生きていく。

現在熱狂的に支持されている自由が何に依拠しているのかというと、組織の否定的な立場からの批判(ときに感情的な拒絶)である。一般的には家族や会社を、活動家の場合は既存の左翼を批判・否定し、その先に導き出されると想定される自由を支持する。組織の否定的な立場からの批判の過程で、責任や意思や、あるいは使命といったものは放棄されてしまった。その結果として、約束されたはずの自由も革命後の世界も実現困難なものとなっている。

あまり自分の現場から離れたことを述べるのは好きではないが、この問題をもう少し拡大するとこのような考えもできる。
今年国会前における反安保のデモ・集会が盛り上がった。この運動において、参加者の大半がどこにも属さず、自分の意志で抗議行動に参加していると見られていることが非常に好意的に捉えられていた。しかし、これは手放しに喜べて、権力の暴走を止める力を内包するものなのだろうか? 比喩的にも、具体的にも、生きるための武器も備蓄もオルタナティブな共同体も何も持たない剥き出しの自由な個々人が、1日の数時間だけ「個人の自由な意思」で集って後は別々の日常に帰っていく。これは「権力の暴走」を意識的に遂行しているであろう非常に強固な組織よりも力を持てるのだろうか。

あるいは、これまで熱狂的に支持されてきた自由は負けたのではないだろうか?

今後、僕は組織を肯定的な立場から批判を進めようと思う。その試みの中で進めなければならないのは、日常(具体的には労働か、家庭と言われるもの)を革命することである。一部の限られた人だけの日常でも、その他大勢への余暇の提供でもない、共に働き、共に住み、共にご飯を食べる、共に生きていく。この試みを肯定的に組織を批判する立場で実践していく。
そして、その先に今よりも豊かで、今よりも自由な革命後の世界を目指す(最もここで考えられる「自由」というのは、恐らくは今希求されている自由とは違うものとなるだろうと思う)。別々でバラバラでその中の一部が、見せてくれる世界に酔ってはいけない。望む者全員が参加できる、団結できる、そして人を豊かに自由にする、こういった試みを進めたい。

  

27歳、僕は自殺しなかった。以降、しばらくは自殺について積極的に検討することはないと思う。とはいえ、望もうが望むまいが、死は近づいてくるし、僕はそれを恐らくは一般的なレベルよりも強く意識している。
自分の生命を何に賭けるのか、今後どれだけの僕の中の大切なものの喪失を見つけたとしても、僕はこちら側に賭けて生きていく。そしてささやかな大切なものたちが、もう一度戻ってくるのではないかと願いながら生きていく。

この前りべるたんの現代表と副代表には「幻聴じゃないですか」と言われたけれど、僕には時代が変わる音が聞こえている。歴史は進みつつあり、僕は歴史を進める側の一部として生きて死にたい。

(これを総論として時間あれば各論書きます(><))

菅谷圭祐 について

横浜の山の方でリサイクルショップやってます。不用品回収、ご相談ください。経営理念「遊ぶように働く。働くように遊ぶ」。畑はじめました、三十路はじまりました。連絡先 09075254766 sugayakeisuke@gmail.com
カテゴリー: 全力報告 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中